
6月23日は、カトリック教会で「聖エテルドレダ」を記念する日です。
聖エテルドレダは、聖オードレーとして親しまれる、のどの病の守護聖人です。
王女として二度結婚しながら純潔を守り、のちにエリ島で修道院を創立した聖女でもあります。
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聖エテルドレダ|プロフィール
- 名前
エテルドレダ/Etheldreda、Æthelthryth、Saint Audrey - 生没年
630年ごろ〜679年 - 出身地・時代背景
ノーサンブリアのアンナ王の王女として生まれました。7世紀のイングランドで、王家と修道院が深く結びついていた時代に生きました。 - 肩書き・役職
修道院長、エリ島の修道院創立者。のどや首の病の守護聖人としても知られます。
聖エテルドレダの生涯
聖エテルドレダは、王家の娘として生まれました。
若いころから修道生活への願いを抱いていたと伝えられています。
15歳で最初の結婚をする
エテルドレダは15歳の時に結婚しました。
しかし夫に先立たれ、その後すぐに政略のため再婚させられます。
王女としての人生は、自分の願いだけで決められるものではありませんでした。
再婚後も純潔を守り続ける
それでも、エテルドレダは修道生活への望みを捨てませんでした。
再婚後も夫婦生活を持たず、純潔を守り続けたと伝えられています。
この状況は長く続きましたが、12年目に、ついに夫にも理解され、結婚は無効とされました。
ここに、この聖女の最も特徴的な点があります。
王家の都合に従わされる立場の中でも、自分が神にささげたいと願う生き方を最後まで曲げなかったのです。
672年、エリ島で男女修道院を創立する
672年、エテルドレダはエリ島に女子修道院と男子修道院を創立しました。
そして院長として、この二つの修道院を治めます。
王女の身分から離れた後、彼女は修道院の指導者として新しい共同体を築きました。
修道院長となってからは徹底した質素さを選ぶ
修道女となってからのエテルドレダは、貧しさに徹した生活を送りました。
つつましい衣服を身に着け、病気の時を除いては、一日に一度しか食事をしなかったと伝えられています。
王女として育った人が、自ら進んでこのような生活を選んだところに、この聖女の決意の強さが表れています。
首の腫瘍と没後の伝承
エテルドレダが亡くなった時、首に腫瘍があったと伝えられています。
これは、若いころ一時抱いた虚栄心への償いのしるしと理解されました。
ところが、没後16年たって棺が開かれた時、その腫瘍はすっかり癒えていたと伝えられています。
この伝承によって、エテルドレダは、のどや首の病気で苦しむ人びとの守護聖人として知られるようになりました。
聖エテルドレダの名言・エピソードから学ぶ
聖エテルドレダ本人の短い名言として、広く確実に伝わるものは多くありません。
そのため、この記事では出典のあいまいな言葉は取り上げません。
心に残るのは、王女として二度結婚しながらも、自分が神にささげたいと願った生き方を守り続けたことです。
この姿は、置かれた立場が厳しくても、神への願いを失わずに生きることができると教えてくれます。
カトリック的ポイント解説
聖エテルドレダの生涯で大切なのは、純潔 と 奉献生活への忠実さ です。
カトリック信仰では、神への奉献は単なる気持ちではなく、人生の選択そのものを形づくります。
エテルドレダは、王家の事情の中にあっても、その奉献の願いを手放しませんでした。
その姿は、神への召命が人の都合や時代の事情より深いところにあることを示しています。
聖エテルドレダ|ゆかりの地・書籍・芸術
聖エテルドレダのゆかりの地として最も大切なのは、エリ島です。
また、イングランドでは聖オードレーの名でも広く親しまれてきました。
芸術では、修道院長の姿、王女の装いを離れて修道服に身を包んだ姿、あるいは首を示す象徴とともに描かれることがあります。
まとめ|今日の聖人から学べること
聖エテルドレダは、聖オードレーとして親しまれる、のどや首の病気の守護聖人です。
王女として二度結婚しながら純潔を守り、672年にエリ島で男女修道院を創立しました。
聖エテルドレダは、神への奉献を最後まで守り抜くことの大切さを教えてくれます。
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