※本ページにはプロモーションが含まれています。

聖トマス・モア殉教者

6月22日は、カトリック教会で「聖トマス・モア殉教者」を記念する日です。

聖トマス・モアは、英国宰相として国王に仕えながら、最後はヘンリー8世に反対して処刑された聖人です。

学者、法律家、政治家であり、そして信仰のために命をささげた殉教者として記憶されています。

聖トマス・モア|プロフィール

  • 名前
    トマス・モア/Thomas More
  • 生没年
    1477〜1535年
  • 出身地・時代背景
    イングランドのロンドンに生まれました。16世紀前半、ヘンリー8世の離婚問題と宗教改革によってイングランド教会が大きく変わろうとしていた時代に生きました。
  • 肩書き・役職
    法律家、学者、英国宰相、殉教者。弁護士の守護聖人として知られています。

聖トマス・モアの生涯

聖トマス・モアは、ロンドンに生まれました。

若いころから学問にすぐれ、オックスフォード大学で法律学を学びます。

法律家として歩み、国王に仕える

モアは弁護士となり、その学識と誠実さによって高く評価されました。

やがてヘンリー8世の時代に、英国の宰相に任命されます。

学問に通じ、政治にもたけた人物として、国の重い責任を担う立場に就きました。

ヘンリー8世の離婚問題に反対する

しかし、王妃キャサリンとの離婚問題をきっかけに、ヘンリー8世は教皇の権威を退け、自らが英国教会の首長になることを主張しました。

モアはこれに賛成しませんでした。

彼にとって、王に忠実であることは大切でしたが、それ以上に教会の信仰と秩序を守ることが大切だったからです。

ロンドン塔に15か月監禁される

この姿勢のため、モアは王に逆らったと見なされ、ロンドン塔に入れられました。

彼はそこで15か月間、厳しい監禁生活を送ります。

それでも、自分の立場を変えませんでした。

沈黙によって無用な争いを避けようとしながらも、良心を売ることはしなかったのです。

1535年、処刑されて殉教する

友人であったヨハネ・フィッシャー司教が処刑された9日後、モアにも死刑宣告が下されました。

処刑に際して彼が残したと伝えられる言葉、

「わたしは、まず神の忠実なしもべとして、それから国王の忠実なしもべとして死んでいきます」

は、聖トマス・モアを最もよく表しています。

彼は国王への忠誠を否定したのではなく、その前に神への忠誠があることをはっきり示しました。

1535年、彼は殉教しました。

聖トマス・モアの名言・エピソードから学ぶ

「わたしは、まず神の忠実なしもべとして、それから国王の忠実なしもべとして死んでいきます」

聖トマス・モアを語るうえで最も印象的なのは、処刑前のこの言葉です。

神への忠誠と国王への忠誠を対立だけで語るのではなく、順序を正しく置いていました。

この姿は、信仰者が国家や社会に誠実であるべきこと、しかし最後には神に従うべきことを教えてくれます。

カトリック的ポイント解説

聖トマス・モアの生涯で大切なのは、良心信仰への忠実さ です。

カトリック信仰では、良心は自分勝手な思いつきではなく、神の前で真理に従おうとする深い場です。

モアは、政治的に生き残る道よりも、神の前で正しいと信じた道を選びました。

その姿は、学者でも政治家でも、最後は神の前に立つ一人の信仰者であることを思い出させてくれます。

聖トマス・モア|ゆかりの地・書籍・芸術

聖トマス・モアのゆかりの地として大切なのは、ロンドンオックスフォード、そしてロンドン塔です。

芸術では、法律家や宰相としての装いで描かれるほか、書物、印章、十字架、あるいは獄中の姿で表されることもあります。

また、学識あるキリスト者として、著作や人文主義との関わりの中でも記憶されています。

まとめ|今日の聖人から学べること

聖トマス・モアは、弁護士から英国宰相となり、ヘンリー8世の教会首長宣言に反対して、ロンドン塔に監禁された後、1535年に処刑された聖人です。

国王に仕えながらも、最後には神への忠実さを優先しました。

聖トマス・モアは、地位や安全よりも、神の前で正しいと信じる道を選ぶ信仰を教えてくれます。