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聖マルタ、聖マリア、聖ラザロ

7月29日は、カトリック教会で「聖マルタ、聖マリア、聖ラザロ」を記念する日です。

三人は、エルサレムに近いベタニアという村で一緒に暮らし、イエスを自分たちの家に迎えた兄弟姉妹でした。

『ヨハネによる福音書』には、「イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた」と記されています。

働いてもてなすマルタ、イエスのことばに耳を傾けるマリア、そして死から呼び戻されたラザロ。三人の姿からは、信仰にはさまざまな表し方があることが見えてきます。

聖マルタ、聖マリア、聖ラザロ|プロフィール

  • 名前
    聖マルタ/Saint Martha
    聖マリア(ベタニアのマリア)/Saint Mary of Bethany
    聖ラザロ/Saint Lazarus of Bethany
  • 生没年
    1世紀(詳しい生年・没年は不明)
  • 出身地・時代背景
    エルサレム近郊のベタニア。イエス・キリストが活動していた1世紀に暮らしていました。
  • 肩書き・役職
    イエスの友人であり、イエスに従ったベタニアの三きょうだい

なお、ここでいう聖マリアは、ベタニアのマリアです。カトリック教会では、7月22日に記念される聖マリア・マグダレナとは別に扱われています。

聖マルタ、聖マリア、聖ラザロの生涯

三人の生年や幼いころについて、聖書には記録がありません。

しかし、福音書には、三人がイエスと親しい交わりを持ち、それぞれの方法でイエスを信じていたことが具体的に描かれています。

ベタニアの家でイエスを迎える

『ルカによる福音書』には、イエスがマルタとマリアのいる家を訪れた場面が記されています。

マルタはイエスを迎え入れ、食事などのもてなしのために忙しく働きました。一方、マリアはイエスの足元に座り、その話にじっと耳を傾けていました。

働き続けるマルタは、手伝おうとしないマリアを見て、イエスに不満を伝えます。

するとイエスは、マルタの奉仕そのものを責めるのではなく、多くのことに心を乱されている彼女に、まず神のことばへ耳を傾ける大切さを教えました。

この場面は、マルタとマリアのどちらか一方だけが正しい、という話ではありません。

人に仕えること神のことばを聞くことの両方が、信仰生活には必要なのです。

ラザロの死とマルタの信仰告白

あるとき、弟のラザロが重い病気になりました。

マルタとマリアは、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と伝えるため、人をイエスのもとへ送りました。二人は苦しい状況の中でも、イエスに助けを求めたのです。

しかし、イエスがベタニアに到着したとき、ラザロはすでに亡くなり、墓に葬られてから4日がたっていました。

イエスが来たことを知ったマルタは、家を飛び出して迎えに行きます。そして、イエスがその場にいてくださったなら、弟は死ななかったでしょうと悲しみを打ち明けました。

それでもマルタは、神への信頼を失ってはいませんでした。

イエスから「あなたの兄弟は復活する」と告げられたマルタは、終わりの日の復活を信じていると答えます。

するとイエスは、「わたしは復活であり、いのちである」と語り、このことを信じるかとマルタに問いかけました。

マルタは、次のように信仰を告白します。

「はい、主よ、あなたが神の子、メシアであるとわたしは信じております」

マルタは、弟を失った悲しみが消えていない中で、それでもイエスを信じると答えました。何も心配がないときではなく、最も苦しいときに語られた信仰のことばです。

「ラザロ、出て来なさい」

マリアもイエスのもとへ行き、マルタと同じように、イエスがいてくださったなら弟は死ななかったでしょうと訴えました。

マリアと周囲の人々が泣いているのを見たイエスは、深く心を動かされ、涙を流されます。イエスは人間の悲しみから離れたところにいるのではなく、苦しむ人と一緒に泣いてくださる方として描かれています。

イエスはラザロの墓へ行き、墓をふさいでいた石を取りのけるように命じました。

そして、「ラザロ、出て来なさい」と大声で呼びかけると、亡くなっていたラザロが墓から出てきました。

この出来事を見て、多くの人がイエスを信じるようになります。ラザロの復活は、イエスが死を越えるいのちを与える方であることを示す、福音書の重要なしるしとなりました。

受難を前に、再び食卓を囲む

『ヨハネによる福音書』には、イエスが十字架にかけられる少し前、再びベタニアを訪れたことが記されています。

そこでイエスのために食事が用意され、マルタは給仕をし、ラザロはイエスとともに食卓に着きました

マリアは高価なナルドの香油をイエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐいます。家の中は香油の香りでいっぱいになりました。

マルタは働くことによって、マリアは惜しみなく香油を注ぐことによって、ラザロはイエスと食卓を囲むことによって、それぞれの信仰を表しています。

三人は、ラザロが生き返った後もイエスとの交わりを続け、その受難が近づく時までイエスに従いました。

聖マルタの言葉から学ぶ

聖マルタを代表する言葉は、ラザロの死を前にして語った次の信仰告白です。

「はい、主よ、あなたが神の子、メシアであるとわたしは信じております」

マルタは、弟がすでに墓に葬られているという現実を知っていました。悲しみや疑問を抱えながら、それでもイエスを信じると答えています。

信仰とは、悲しみを感じなくなることでも、すべての疑問に答えが出ることでもありません。

悲しみの中にあっても、「それでも主を信じます」と、自分をイエスにゆだねることです。

マルタはイエスに対して、自分の悲しみを隠しませんでした。同時に、イエスへの信頼も手放しませんでした。

私たちも苦しいときには、無理に明るく振る舞う必要はありません。悲しみや不安をそのまま神に伝えながら、マルタのように信仰への一歩を踏み出すことができます。

カトリック的ポイント解説

聖マルタ、聖マリア、聖ラザロの物語には、もてなし、祈り、友情、復活への希望という大切なテーマがあります。

奉仕と祈りは切り離せない

マルタは働く人、マリアは祈る人として、対照的に語られることがあります。

しかし、カトリックの信仰では、奉仕と祈りを対立させる必要はありません。人に仕えるためには、まず神のことばに耳を傾け、心を整える時間が必要です。

反対に、祈りによって受け取った恵みは、困っている人を助け、隣人を迎え入れる行動へとつながっていきます。

教皇フランシスコは、マルタとマリアの姿について、「マルタの手とマリアの心をもって」神と人々に仕えることの大切さを語っています。

イエスは悲しむ人とともに泣く

ラザロの墓の前で、イエスは涙を流されました。

イエスはすぐにラザロを生き返らせる力を持っていましたが、それでもマルタとマリアの悲しみを見過ごさず、二人と一緒に涙を流されたのです。

この姿は、大切な人を失った人に対して、簡単な言葉で悲しみを片づけてはいけないことを教えています。

悲しんでいる人のそばに立ち、ともに泣くことも、キリストにならう大切な愛の行いです。

死で終わらない希望

イエスはマルタに、「わたしは復活であり、いのちである」と告げました。

キリスト教の希望は、死や苦しみが存在しないと考えることではありません。死を前にしても、神のいのちと愛が最後には勝利すると信じることです。

ラザロの墓から石が取りのけられたように、私たちの心を閉じ込めている絶望や孤独の石も、神によって取りのけられることがあります。

すべてが終わったように見える場所でも、イエスは今も私たちに、「出て来なさい」と呼びかけてくださるのです。

三人が一緒に記念されるようになった理由

カトリック教会のローマ暦では、長い間、7月29日は主に「聖マルタ」の記念日とされてきました。

しかし、2021年に教皇フランシスコの決定によって、記念日の名称が「聖マルタ、聖マリア、聖ラザロ」へ変更されました。

教会は三人について、イエスを家に迎え、そのことばに耳を傾け、イエスが復活でありいのちであると信じた、重要な福音の証人として説明しています。

一人だけではなく三人を一緒に記念することで、ベタニアの家にあった友情と家族的な交わりが、よりはっきりと表されるようになりました。

聖マルタ、聖マリア、聖ラザロ|ゆかりの地・芸術

三人と深く結びついている場所が、エルサレム近郊のベタニアです。

この地では、ラザロを記念する教会や修道院の遺構が発掘されており、古くからキリスト教徒がラザロの復活を記念してきたことが分かっています。

ベタニアは、イエスが奇跡を行った場所であるだけではありません。イエスが友人たちの家で休み、食事をし、親しい時間を過ごした場所でもあります。

聖書の出来事を遠い昔の話としてではなく、イエスと人々との温かな交わりとして感じられる巡礼地です。

ベラスケスが描いたマルタとマリア

マルタとマリアの物語は、多くの画家によって描かれてきました。

その一つが、スペインの画家ディエゴ・ベラスケスが1618年ごろに描いた『マルタとマリアの家のキリスト』です。

絵の手前には、台所で食事を準備する女性たちが大きく描かれています。その奥には、イエスの足元で話を聞くマリアと、忙しく働くマルタの姿が小さく配置されています。

日常の仕事と、神のことばに耳を傾ける時間を一つの画面に描くことで、私たち自身の生活の中で、奉仕と祈りをどのように結び合わせるかを問いかける作品です。

まとめ|今日の聖人から学べること

聖マルタ、聖マリア、聖ラザロは、ベタニアの家でイエスを迎え、親しい友情を育んだ三きょうだいです。

マルタはもてなしと信仰告白によって、マリアはイエスのことばを聞き、香油を注ぐことによって、ラザロは死から呼び戻された存在として、イエスが与えるいのちを証ししました。

三人の物語が教えているのは、信仰の表し方は一つではないということです。

忙しく働く手も、静かに神のことばを聞く心も、悲しみの中で助けを求める祈りも、すべて神へ向かう大切な道となります。

私たちも、マルタのように人を温かく迎え、マリアのように神のことばへ耳を傾け、ラザロのようにイエスの呼びかけを受けて、新しい一歩を踏み出したいものです。

そして、希望を失いそうなときには、イエスが語られた「わたしは復活であり、いのちである」ということばを思い出してみてください。

死や悲しみが最後の答えではありません。神の愛は、閉ざされた墓の中にさえ届き、私たちを再びいのちへと呼び出してくださるのです。