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聖パンタレオン

7月26日は、カトリック教会で「聖パンタレオン」を記念する日です。

高い医学の知識を身につけ、皇帝の宮廷に仕えるほどの名声を得ながら、父から受け継いだ財産を貧しい人や病人、孤児のために使ったと伝えられています。

しかし、キリスト教徒への迫害が激しくなると、同業の医師たちから告発され、信仰を捨てることなく殉教しました。

医術と憐れみを一つにしたその生涯から、現在も医師や医療に携わる人々の守護聖人として崇敬されています。

聖パンタレオンのプロフィール

聖パンタレオンは、3世紀末から4世紀初めにかけて、ローマ帝国の東部で生きた医師・殉教者です。

  • 名前
    聖パンタレオン/Saint Pantaleon
    東方教会では聖パンテレイモン(Saint Panteleimon)とも呼ばれます。
  • 生没年
    生年不詳~305年ごろ
  • 出身地・時代背景
    ニコメディア、ビテュニア地方
    現在のトルコ北西部。ローマ皇帝ディオクレティアヌスによるキリスト教迫害が行われた時代です。
  • 肩書き・役職
    医師、宮廷医師、殉教者
    医師や医療従事者の守護聖人

貴族の家に生まれ、皇帝の宮廷医師となる

パンタレオンは、ローマ帝国東部の重要都市ニコメディアにある裕福な家庭で生まれたと伝えられています。

父の希望で医学を学ぶ

パンタレオンの父は異教徒でしたが、息子に十分な教育を受けさせ、医学の道へ進ませました。

当時のニコメディアは、ローマ帝国東部の政治と文化の中心地の一つでした。若いパンタレオンはそこで医学を学び、優れた技術を身につけていきます。

やがてその才能は皇帝の耳にも届き、パンタレオンは宮廷に仕える医師になったと伝えられています。若くして、医師として最高ともいえる地位を得たのです。

司祭ヘルモラオからキリスト教を学ぶ

パンタレオンの母はキリスト教徒で、幼い息子に信仰を伝えていたともいわれています。しかし、母が早くに亡くなったため、パンタレオンは次第にキリスト教から離れていきました。

その後、パンタレオンはヘルモラオという司祭と出会います。

ヘルモラオはパンタレオンに、医術によって体を治療するだけでなく、苦しむ人の心や魂にも目を向けることの大切さを語りました。

パンタレオンは司祭からキリスト教について学び、洗礼を受けます。医師としての技術と、キリストが示した隣人愛が、彼の中で一つになっていったのです。

財産を病人や孤児のために使う

キリスト教徒となったパンタレオンは、医師としての働き方も変えていったと伝えられています。

貧しい人を無償で診療する

パンタレオンは、治療費を払えない貧しい人々にも手を差し伸べました。

地位や財産のある人だけを診るのではなく、助けを必要としている人を分け隔てなく診療したのです。バチカン・ニュースも、パンタレオンが医師となった後、貧しい人々を無償で治療したと伝えています。

医師としての名声は、彼に富や名誉をもたらすこともできたでしょう。しかしパンタレオンは、医学を自分の成功のためだけに使おうとはしませんでした。

目の前にいる病人の苦しみを和らげることこそが、医師として自分に与えられた使命だと考えたのでしょう。

父の遺産を貧しい人々へ分け与える

父が亡くなると、パンタレオンは多くの財産を受け継ぎました。

ところが彼は、その財産を自分のために蓄えず、貧しい人や病人、孤児などに分け与えたと伝えられています。

パンタレオンにとって憐れみとは、相手を気の毒に思うだけの感情ではありませんでした。

医術を用いて病人を治療し、財産を用いて生活に困っている人を支えるという、具体的な行動だったのです。

医師たちの告発によって捕らえられる

パンタレオンが生きた時代、ローマ帝国ではキリスト教徒に対する大規模な迫害が行われていました。

名声をねたんだ同業者が皇帝に訴える

パンタレオンの評判が高まる一方で、その活躍を快く思わない医師たちもいました。

伝承によれば、彼らはパンタレオンがキリスト教徒であることを皇帝に告発しました。医師としての名声に対する嫉妬も、告発の背景にあったとされています。

パンタレオンは皇帝の前に連れ出され、キリスト教の信仰を捨てるよう迫られました。

皇帝は優秀な宮廷医師であるパンタレオンを失いたくなかったため、信仰を撤回すれば命を助けようとしたとも伝えられています。

信仰を捨てず、305年ごろに殉教する

パンタレオンは、皇帝の要求に従いませんでした。

彼は自分がキリスト教徒であることを公に認め、信仰を捨てることを拒みます。そのため残酷な拷問を受け、最後には斬首されて殉教したと伝えられています。

後世の聖人伝には、火や熱した鉛、猛獣などによる拷問から奇跡的に守られたという物語も加えられました。ただし、こうした細部は歴史的事実というより、迫害の中でも信仰を失わなかった聖人の強さを表す伝承として受け止める必要があります。

パンタレオンがニコメディアで殉教したのは、ディオクレティアヌス帝による迫害が続いていた305年ごろとされています。

「すべてに憐れみ深い」と呼ばれた医師

聖パンタレオンの名は、病人を治療する技術だけでなく、苦しむ人に寄り添った姿と結びついています。

東方教会ではパンテレイモンと呼ばれる

西方教会では一般にパンタレオンと呼ばれますが、東方教会ではパンテレイモンという名でも広く知られています。

パンテレイモンは、「すべてに憐れみ深い」「すべてを憐れむ者」という意味に解されています。

伝承によれば、処刑にかかわった人々のためにも赦しを願ったことから、この名で呼ばれるようになったといわれています。(新しい冒険)

自分を苦しめる人のためにまで祈る姿は、パンタレオンが患者だけでなく、すべての人に神の憐れみが注がれることを願っていたことを表しています。

医師や医療従事者の守護聖人となる

聖パンタレオンは、中世以降、医師や助産師の守護聖人として広く崇敬されるようになりました。

東方教会では「無償で治療する聖人」の一人として特に親しまれ、病気の癒やしや、医療に携わる人々のためにその取り次ぎが願われています。(新しい冒険)

医療には、正確な知識や技術が欠かせません。しかし同時に、病気に苦しむ人の不安や孤独に寄り添う心も求められます。

聖パンタレオンの生涯は、優れた医術と人を憐れむ心が離れてはならないことを、今も私たちに伝えています。

聖パンタレオンから学びたいこと

宮廷に仕えるほどの能力と、貴族の家から受け継いだ財産を持ちながら、パンタレオンはそれらを自分の名誉や豊かさのためだけには使いませんでした。

与えられた能力を苦しむ人のために使う

人にはそれぞれ、知識や経験、仕事、財産など、異なるものが与えられています。

パンタレオンは、医師としての能力を貧しい病人のために使いました。特別な才能を持つこと以上に、その才能を誰のために使うのかを大切にしたのです。

私たちも、自分にできることを誰かの助けのために用いるとき、隣人愛を具体的な形で表すことができます。

憐れみを行動に変える

病気や貧困に苦しむ人を見て心を痛めても、そこで終わってしまうことがあります。

パンタレオンの憐れみは、診療し、財産を分け与え、孤独な人に寄り添うという行動になりました。

大きなことはできなくても、困っている人の話を聞くことや、必要な助けを差し出すことはできます。聖パンタレオンは、憐れみとは実際に手を差し伸べることであると教えてくれます。

まとめ|医術と財産を苦しむ人のために用いた聖パンタレオン

聖パンタレオンは、ニコメディアの裕福な家庭に生まれ、医学を学び、皇帝の宮廷に仕える医師となりました。

しかし彼が選んだのは、地位や財産に囲まれた生活ではありませんでした。貧しい人を無償で治療し、父から受け継いだ財産を病人や孤児のために用いたと伝えられています。

キリスト教徒であることを告発された後も信仰を捨てず、305年ごろに殉教しました。

聖パンタレオンの生涯は、知識や技術だけではなく、苦しむ人を思いやる心が人を本当の意味で癒やすことを伝えています。

病気の治療にあたる医師や看護師をはじめ、誰かの痛みに寄り添うすべての人を支えてくださるよう、聖パンタレオンの取り次ぎを願いましょう。