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聖アポリナリス司教殉教者

7月20日は、カトリック教会で「聖アポリナリス司教殉教者」を記念する日です。

聖アポリナリスは、使徒聖ペトロから北イタリアのラヴェンナへ派遣され、その地の初代司教になったと伝えられています。

彼の生涯については、同時代の詳しい記録が残っているわけではありません。

しかしラヴェンナの教会では、使徒たちから受け継いだ信仰を町へ伝え、最初の教会共同体を導いた司教として、古くから崇敬されてきました。

現在もラヴェンナには、彼の名を持つ二つの有名な聖堂があります。

なかでもサンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂の後陣には、羊の群れに囲まれ、両手を広げて祈る聖アポリナリスのモザイクが残されています。

聖アポリナリス|プロフィール

  • 名前
    アポリナリス/Apollinaris of Ravenna
  • 生没年
    生年不詳〜1世紀後半とする伝承がありますが、正確な年代は確認されていません。
  • 活動地
    北イタリアのラヴェンナ、港町クラッセ
  • 肩書き
    ラヴェンナ初代司教、殉教者
  • 伝承上の特徴
    使徒聖ペトロの弟子としてラヴェンナへ派遣され、病人を癒やし、最初のキリスト教共同体を築いたと伝えられています。
  • 記念日
    7月20日

聖アポリナリスの生涯

聖ペトロからラヴェンナへ派遣されたという伝承

教会の古い伝承によると、アポリナリスは使徒聖ペトロの弟子でした。

聖ペトロから司教に叙階され、福音を伝えるため、北イタリアのラヴェンナへ派遣されたといわれています。

ただし、この関係を直接証明する1世紀の史料は残っていません。

そのため、「聖ペトロから派遣された」という部分は、歴史的に確定した経歴ではなく、ラヴェンナ教会に伝わる伝承として受け止める必要があります。

それでもこの伝承には、ラヴェンナの教会が自分たちの信仰を、使徒聖ペトロにまでさかのぼるものとして大切にしてきたことが表れています。

ローマ帝国の軍港クラッセに近い町で宣教する

当時のラヴェンナは、アドリア海沿岸の重要な港町クラッセと結びついていました。

クラッセにはローマ帝国の艦隊が置かれ、兵士や商人など、さまざまな地域から来た人びとが行き交っていました。

アポリナリスは、この国際的な港湾都市に近い場所でキリストの教えを伝えたと考えられています。

ラヴェンナとクラッセという具体的な土地こそ、聖アポリナリスの生涯を特徴づける重要な要素です。

ラヴェンナ最初の司教となる

アポリナリスは、ラヴェンナで生まれた最初のキリスト教共同体を導き、その地の初代司教になったと伝えられています。

まだキリスト教の聖堂や制度が十分に整っていなかった時代です。

司教は信徒をまとめ、洗礼を授け、聖体を祝い、迫害や反対の中で共同体を守る責任を負いました。

アポリナリスがラヴェンナで特別に崇敬されているのは、単に一人の殉教者だからではありません。

ラヴェンナ教会の最初の牧者として、その土地の信仰の出発点になったと考えられているからです。

病人を癒やしたという伝承

聖アポリナリスの物語には、病人の癒やしがたびたび登場します。

彼が病気の人のために祈ると、その人が癒やされ、それをきっかけに家族や周囲の人びとがキリスト教を受け入れたと伝えられています。

これらを現代の医療記録のように確認することはできません。

しかし伝承は、アポリナリスを、教えを語るだけでなく、病気や苦しみの中にいる人へ寄り添った司教として描いています。

ラヴェンナの有力者たちから反発を受ける

アポリナリスによってキリスト教を受け入れる人が増えると、従来の宗教を守る人びとや地域の有力者から反発を受けるようになったと伝えられています。

キリスト教徒は、ローマの神々や皇帝を神として礼拝することを拒みました。

そのため、伝統的な宗教や社会秩序を乱す者だと疑われることがありました。

アポリナリスは、ラヴェンナでキリスト教共同体が広がる中心人物だったため、特に敵視されたのでしょう。

拷問を受け、ラヴェンナから追放される

伝承によれば、アポリナリスは捕らえられ、暴行や拷問を受けた後、ラヴェンナから追放されました。

追放された後も別の土地で福音を伝え、やがて再びラヴェンナへ戻ったといわれています。

ここで重要なのは、単に「迫害に耐えた」ということではありません。

自分が最初に築いたラヴェンナの教会へ戻り、その共同体を再び導いたという点です。

アポリナリスにとって、司教職は名誉ではなく、ラヴェンナの信徒たちを守る責任だったのでしょう。

ネロ帝の時代に殉教したという伝承

聖アポリナリスは、皇帝ネロの時代に活動し、迫害を受けたとする伝承があります。

ネロ帝は、64年のローマ大火後、ローマ市内のキリスト教徒を処刑したことで知られています。

ただし、ラヴェンナでのアポリナリスへの迫害が、ネロ帝から直接命じられたものだったと確認できる史料はありません。

そのため、ネロ帝の時代と重なるころ、ラヴェンナ周辺でキリスト教への反対と暴力を受けたという伝承として書くのが適切です。

クラッセで傷を負い、殉教する

アポリナリスは最後に、ラヴェンナ近郊の港町クラッセで激しい暴行を受けました。

そして、その傷がもとで亡くなったと伝えられています。

クラッセは、彼が宣教したラヴェンナと地中海世界を結ぶ重要な場所でした。

そのクラッセが、彼の殉教地としても記憶されているのです。

聖アポリナリスの遺体と二つの聖堂

墓の近くに建てられたサンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂

聖アポリナリスの遺体は、クラッセ近郊に葬られたと伝えられています。

6世紀になると、その墓と結びつく場所にサンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂が建てられました。

聖堂が建てられたのは、アポリナリスの時代から数百年後です。

彼自身がこの聖堂で活動したわけではなく、ラヴェンナ初代司教の墓と殉教の記憶を守るために建てられました。

9世紀に聖遺物がラヴェンナ市内へ移される

9世紀には、海からの襲撃を避けるため、アポリナリスの聖遺物がクラッセからラヴェンナ市内へ移されたと伝えられています。

移された先は、もともと東ゴート王テオドリックの宮廷教会として建てられ、後に聖マルティノへささげられていた聖堂です。

アポリナリスの聖遺物が移された後、この聖堂は「サンタポリナーレ・ヌオーヴォ」、つまり「新聖アポリナリス教会」と呼ばれるようになりました。

したがって、クラッセの聖堂とラヴェンナ市内の聖堂は、同じ建物ではありません。

サンタポリナーレ・イン・クラッセ
墓と殉教地に結びつく聖堂
サンタポリナーレ・ヌオーヴォ
後に聖遺物が移されたラヴェンナ市内の聖堂

羊に囲まれて祈る聖アポリナリスのモザイク

司教の祭服で両手を広げる姿

サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂の後陣には、司教の祭服を着た聖アポリナリスが描かれています。

彼は緑豊かな楽園に立ち、両手を広げて祈っています。

これは、地上で殉教した後、神の前でラヴェンナ教会のために祈る司教の姿です。

12匹の羊はラヴェンナの信徒を表す

アポリナリスの周囲には、12匹の羊が描かれています。

羊は使徒を象徴するとともに、彼が牧者として導いたラヴェンナの信徒たちを表すとも解釈されています。

このモザイクによって、アポリナリスは単なる一人の殉教者ではなく、ラヴェンナ教会を導く最初の司教として表現されているのです。

宝石で飾られた十字架

モザイクの上部には、星空の中に大きな宝石装飾の十字架が描かれています。

これは、キリストの変容と栄光を象徴しています。

地上で傷つけられたアポリナリスの生涯が、キリストの十字架と復活によって完成されたことを示す構図です。

なぜ聖アポリナリスは聖人として記念されるのか

ラヴェンナ教会の出発点となった

聖アポリナリスは、ラヴェンナで最初の司教となり、その地の教会共同体を築いたと伝えられています。

彼の存在がなければ、後に世界的なキリスト教美術の中心となるラヴェンナの教会史も始まりません。

ラヴェンナの信徒にとって、アポリナリスは地域の守護聖人であるだけでなく、自分たちの信仰の始まりを象徴する人物です。

使徒たちから受け継いだ信仰を伝えた

聖ペトロから派遣されたという伝承は、アポリナリス個人の名誉を高めるためだけのものではありません。

ラヴェンナ教会の信仰が、使徒たちの教えを受け継いだものであることを示しています。

アポリナリスは、ローマの聖ペトロとラヴェンナの教会を結ぶ人物として記憶されてきました。

最初の司教としてラヴェンナの信徒を守った

アポリナリスは、追放された後もラヴェンナへ戻ったと伝えられています。

それは、危険を恐れなかったというだけではありません。

自分に託されたラヴェンナの信徒たちを、司教として見捨てなかったということです。

彼の生涯を特徴づけるのは、漠然とした「不屈の信仰」ではなく、ラヴェンナ初代司教として、その土地の教会に最後まで責任を負ったことです。

カトリック的ポイント解説

聖アポリナリスの生涯で大切なのは、使徒から受け継いだ信仰司教の牧者としての務めです。

教会では、司教たちは使徒の後継者と考えられています。

聖アポリナリスが聖ペトロからラヴェンナへ派遣されたという伝承は、この使徒的なつながりを象徴しています。

また、司教は教会を管理するだけの役職ではありません。

自分に託された信徒を、羊を導く牧者のように守る存在です。

サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂のモザイクで、アポリナリスが羊に囲まれて祈っているのは、その司教としての役割を表しています。

聖アポリナリス|ゆかりの地・芸術

ラヴェンナ

北イタリアのラヴェンナは、アポリナリスが宣教し、初代司教になったと伝えられる都市です。

後に西ローマ帝国や東ゴート王国、ビザンチン支配の中心となり、初期キリスト教のモザイク美術で知られるようになりました。

クラッセ

クラッセは、古代ラヴェンナの外港として栄えた場所です。

アポリナリスが殉教し、葬られたと伝えられる土地でもあります。

現在のサンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂は、この記憶を今に伝えています。

サンタポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂

ラヴェンナ市内にあるサンタポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂は、9世紀にアポリナリスの聖遺物が移されたことから、現在の名称で呼ばれるようになりました。

クラッセの聖堂とは成立の事情も場所も異なります。

まとめ|今日の聖人から学べること

聖アポリナリスは、使徒聖ペトロから北イタリアのラヴェンナへ派遣され、その地の初代司教になったと伝えられる聖人です。

ラヴェンナと港町クラッセで福音を伝え、病人を癒やし、最初のキリスト教共同体を築いたといわれています。

最後にはクラッセで暴行を受け、その傷がもとで殉教したと伝えられました。

彼の墓と結びつく場所には、後にサンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂が建てられました。

その後陣には、羊の群れに囲まれ、両手を広げて祈る聖アポリナリスのモザイクが残されています。

聖アポリナリスは、聖ペトロから受け継いだ信仰をラヴェンナへ伝え、その土地の最初の牧者となった人物として記憶されています。