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聖カミロ・デ・レリス司祭

7月14日は、カトリック教会で「聖カミロ・デ・レリス司祭」を記念する日です。

聖カミロの若いころは、決して聖人らしいものではありませんでした。

軍隊生活を送り、賭博で全財産を失い、さらに足の傷に生涯苦しみ続けました。

しかし25歳で回心すると、その傷と苦しみを、病人に寄り添う力へと変えていきます。

やがて司祭となり、「病人のしもべたち」という修道会を創立して、生涯を病人の看護にささげました。

聖カミロ・デ・レリス|プロフィール

  • 名前
    カミロ・デ・レリス/Camillus de Lellis
  • 生没年
    1550年〜1614年
  • 出身地・時代背景
    イタリアに生まれ、16世紀から17世紀初めに生きました。戦争や疫病が多く、病院の衛生や患者への待遇も現在とは大きく異なっていた時代です。
  • 肩書き・役職
    司祭、聖カミロ修道会の創立者
  • 守護
    病院、病人、病人を看護する人びとの保護者として知られています。

聖カミロ・デ・レリスの生涯

聖カミロの生涯には、大きな転換があります。

軍人として生き、賭博にのめり込んだ青年が、自らも病を抱えながら、病人に仕える司祭へと変わっていったのです。

18歳で軍隊生活に入り、足に傷を負う

カミロは、イタリアの貴族の家に生まれました。

18歳のときに軍隊生活に入りましたが、そこで足に傷を負います。

この傷は簡単には治らず、その後も生涯にわたって彼を苦しめることになりました。

後に病人のために生涯をささげるカミロ自身が、まず「治らない傷を抱えた人」だったのです。

賭博によって全財産を失う

若いころのカミロには、もう一つ大きな問題がありました。

賭博です。

彼は賭博にのめり込み、ついには全財産を失ってしまいました。

軍隊生活、足の傷、そして賭博による破綻。

この時点のカミロは、後に多くの病人を救う修道会を創立する人物とは、とても思えないような人生を送っていました。

25歳で回心し、修道生活を望む

しかし25歳のとき、カミロは回心します。

それまでの生き方を改め、神に自分の人生をささげたいと願うようになりました。

そしてカプチン会の修道院に入ります。

ところが、以前から苦しんでいた足の傷が悪化したため、修道生活を続けることができなくなりました。

神に仕えようと決意したにもかかわらず、今度は自分の病気によって、その道を断たれたのです。

ローマの病院で、病人に仕える道を見つける

カプチン会を離れたカミロは、ローマの病院へ向かいました。

そしてそこで、病人を看護することを自分の使命として受け止めるようになります。

自分自身が長い間、足の傷に苦しんできたからこそ、病人の痛みや不安を身近に感じることができたのでしょう。

カミロにとって、治らなかった足の傷は、ただ人生を妨げるものではなくなりました。

病人の苦しみを理解し、そのそばに立つための経験へと変わっていったのです。

聖フィリポ・ネリのすすめを受けて司祭となる

カミロの信仰生活を支えた人物の一人が、聖フィリポ・ネリです。

フィリポ・ネリのすすめを受け、カミロは神学を学び、やがて司祭となりました。

ここで彼の働きは、病人の身体を世話するだけではなく、苦しむ人の心と魂にも寄り添うものへと広がっていきます。

病床にある人にとって必要なのは、薬や食事だけではありません。

不安の中で話を聞いてくれる人、祈ってくれる人、最後まで人間として大切にしてくれる人も必要です。

カミロは、そのすべてを病人への奉仕として考えました。

「病人のしもべたち」を創立する

カミロは、同じ志を持つ2人の同志とともに、「病人のしもべたち」という修道会を創立しました。

これが、現在の「聖カミロ修道会」へとつながっていきます。

その名のとおり、彼らが目指したのは、病人を上から助けることではありませんでした。

病人の「しもべ」となって仕えることです。

弱っている人、苦しんでいる人、見捨てられがちな人のそばに立ち、一人の人間として大切にすることを使命としました。

「病人のよいしもべは、病院で死ぬ」

カミロは、「病人のよいしもべは、病院で死ぬ」と語っていたと伝えられています。

この言葉は、彼の生涯そのものを表しています。

病人への奉仕は、一時的な活動ではありませんでした。

自分の人生そのものを、病人のために差し出すことだったのです。

カミロは、自らも足の傷に苦しみながら、生涯を病人のためにささげました。

聖カミロ修道会が世界へ広がる

カミロが創立した共同体は、後に「聖カミロ修道会」として広がっていきました。

病院や病人のいる場所で奉仕し、苦しむ人に寄り添うというカミロの精神は、彼の死後も受け継がれました。

そのため聖カミロ・デ・レリスは、病院や病人、そして病人を看護する人びとの保護者として親しまれています。

聖カミロ・デ・レリスの名言・エピソードから学ぶ

聖カミロを最もよく表す言葉は、「病人のよいしもべは、病院で死ぬ」という言葉でしょう。

カミロにとって、病人への奉仕は仕事ではありませんでした。

病人の中にキリストを見て、その人に仕えることが、自分の人生そのものだったのです。

また、彼自身が生涯治らない足の傷を抱えていたことも大切です。

自分の苦しみが完全になくなったから、人を助けられるようになったのではありません。

自分も苦しみながら、同じように苦しむ人に手を差し伸べました。

カトリック的ポイント解説

聖カミロ・デ・レリスの生涯で大切なのは、回心病人への奉仕です。

カミロの若いころには、賭博や生活の乱れがありました。

しかし教会が彼を聖人として記念するのは、過去に失敗がなかったからではありません。

失敗の中から立ち上がり、自分の人生を神と人びとのために使う道を選んだからです。

また、彼自身の足の傷も、生涯消えることはありませんでした。

それでもその傷は、彼を神から遠ざけるものではなく、病人をより深く理解するための道となりました。

キリスト教では、自分の傷や失敗も、神にゆだねるなら、人を助ける力へと変えられると考えます。

聖カミロの生涯は、そのことを非常にはっきりと示しています。

聖カミロ・デ・レリス|ゆかりの地・芸術

聖カミロの生涯で重要なのは、ローマと、彼が病人の看護に携わった病院です。

また、彼の信仰生活を支えた聖フィリポ・ネリとの関係もよく知られています。

芸術では、黒い修道服を着て、胸に赤い十字を付けた姿や、病人のベッドのそばで看護する姿で描かれることがあります。

これは、病人のそばに立ち続けた彼の生涯を象徴しています。

まとめ|今日の聖人から学べること

聖カミロ・デ・レリスは、18歳で軍隊生活に入り、足に傷を負い、さらに賭博によって全財産を失った人です。

25歳で回心し、修道生活を望みましたが、足の傷のためにその道を離れました。

しかし、その後ローマの病院で病人に仕える使命を見いだし、聖フィリポ・ネリのすすめを受けて司祭となりました。

そして「病人のしもべたち」を創立し、生涯を病人のためにささげました。

聖カミロ・デ・レリスは、人生の失敗や消えない傷も、人を愛し、支える力へと変えることができると教えてくれます。