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聖ヨハネ・グアルベルト

7月12日は、カトリック教会で「聖ヨハネ・グアルベルト」を記念する日です。

ヨハネは、兄を殺した相手への復讐を決意しながら、実際に相手と向き合ったとき、剣を振るうのではなく赦すことを選びました。

この赦しを境に、彼の人生は大きく変わります。

やがて修道者となり、ヴァンブローサに修道院を創立して、祈り、清貧、貧しい人への奉仕を大切にする共同体を築きました。

聖ヨハネ・グアルベルト|プロフィール

  • 名前
    ヨハネ・グアルベルト/John Gualbert、Giovanni Gualberto
  • 生没年
    995年ごろ〜1073年
  • 出身地・時代背景
    イタリアのフィレンツェの貴族の家に生まれました。当時の貴族社会では、一族の名誉を守るための争いや復讐が当然の責任と見なされることもありました。
  • 肩書き・役職
    修道院長、ヴァンブローサ修道会の創立者。

聖ヨハネ・グアルベルトの生涯

聖ヨハネ・グアルベルトの人生を変えたのは、修道院での不思議な体験よりも前に、一人の敵を赦したことでした。

その決断から、復讐に生きる貴族の道を離れ、神に生涯をささげる歩みが始まります。

兄を殺され、復讐を決意する

ヨハネは、フィレンツェの裕福な貴族の家に生まれ、何不自由なく育ちました。

しかし、貴族同士の争いによって兄が殺されると、その生活は一変します。

ヨハネは兄の死を深く悲しみ、相手に復讐することを決意しました。

当時の貴族社会では、家族を殺された者が仇を討つことは、一族の名誉を守る行為とも考えられていました。

ヨハネ自身も、その価値観から逃れられず、復讐の機会を待ち続けたのです。

兄を殺した相手と狭い道で出会う

やがてヨハネは、兄を殺した相手と逃げ場のない狭い道で出会いました。

ついに待ち望んでいた復讐の機会が訪れたのです。

ところが、相手は地面に身を投げ出し、十字架を思わせる姿で赦しを求めたと伝えられています。

その姿を見たヨハネは、剣を振るうことができませんでした。

そして、キリストへの愛のために相手を赦したのです。

復讐ではなく赦しを選ぶ

ここが、ヨハネの生涯で最も大きな転換点です。

彼は、兄の死を忘れたわけではありません。

また、殺人を正しい行為として認めたわけでもありません。

それでも、自分も相手の命を奪うという復讐の連鎖を断ち切りました。

ヨハネの赦しは、弱さや臆病さではありません。

怒りに支配されず、キリストの教えに従うことを選んだ、非常に勇気のある決断でした。

十字架のキリストが頭を垂れたという伝承

相手を赦した後、ヨハネはフィレンツェにあるサン・ミニアート教会へ入り、十字架の前で祈りました。

すると、十字架上のキリストが頭を垂れ、彼の赦しを受け入れたしるしを示したという伝承が残されています。

この出来事に心を動かされたヨハネは、それまでの人生を離れ、神に生涯をささげようと決意しました。

サン・ミニアートのベネディクト会修道院に入る

ヨハネは、サン・ミニアートのベネディクト会修道院に入り、修道生活を始めました。

貴族としての裕福な暮らしを捨て、祈り、従順、節制の生活に身を置いたのです。

しかし、彼は次第に、さらに簡素で福音に忠実な修道生活を求めるようになりました。

そこでサン・ミニアートを離れ、聖ロムアルドが始めたカマルドリ会の修道者たちと、しばらく生活したと伝えられています。

ヴァンブローサの森へ向かう

その後、ヨハネはフィレンツェ郊外の山深いヴァンブローサへ向かいました。

「ヴァンブローサ」は、「日陰の谷」という意味を持つ名で、森林に囲まれた静かな土地です。

ヨハネはそこで、華美を避け、祈りと清貧を中心とする生活を始めました。

彼が求めていたのは、人から称賛される大きな修道院ではなく、福音をできるだけ純粋に生きる共同体でした。

1038年ごろ、ヴァンブローサ修道院を創立する

ヨハネの徳と生き方を慕い、彼のもとには次第に仲間が集まるようになりました。

そこで1038年ごろ、ヨハネは彼らのためにヴァンブローサ修道院を創立しました。

この共同体は、聖ベネディクトの会則を土台としながら、清貧と節制をより重んじる修道生活を目指しました。

後にヴァンブローサ修道会と呼ばれ、教会の改革にも大きな役割を果たしていきます。

貧しい人や病人を迎える修道院を築く

ヨハネの修道院は、修道者たちだけの閉じられた場所ではありませんでした。

貧しい人びとや病人を世話し、訪ねてくる人を快くもてなすことを大切にしました。

自分たちが清貧に生きるだけでなく、困っている人を助けることによって、キリストへの愛を形にしたのです。

ヴァンブローサ修道会は現在も、福音的清貧と慈善活動を大切な特色としています。

聖ヨハネ・グアルベルトの名言・エピソードから学ぶ

聖ヨハネ・グアルベルト本人の確実な名言よりも、兄を殺した相手を赦した行動そのものが、彼の最大のメッセージです。

彼は、復讐できる力も機会も持っていました。

それでも剣を下ろし、相手の命を助けました。

赦しとは、起きたことをなかったことにすることではありません。

受けた傷を、新たな暴力へつなげないと決断することです。

ヨハネは、その決断によって相手の命だけでなく、自分自身の人生をも復讐から解放したのです。

カトリック的ポイント解説

聖ヨハネ・グアルベルトの生涯で大切なのは、赦し回心です。

カトリック信仰における赦しは、悪を正しいと認めることではありません。

悪には悪で報いず、裁きを神に委ねて、憎しみの連鎖から離れることです。

ヨハネは、兄を殺されたという深い悲しみの中で、それを実際に行いました。

そして、赦しは一度の善い行いで終わらず、その後の人生全体を変えました。

復讐を求めていた貴族が、祈りと清貧に生きる修道者となり、貧しい人や病人を迎える共同体を築いたのです。

聖ヨハネ・グアルベルト|ゆかりの地・書籍・芸術

聖ヨハネ・グアルベルトのゆかりの地として大切なのは、フィレンツェサン・ミニアートカマルドリ、そしてヴァンブローサです。

なかでも、兄の仇を赦した後に十字架の前で祈ったサン・ミニアートと、修道院を創立したヴァンブローサは、彼の生涯を象徴する場所です。

芸術では、武器を捨てて兄の仇を赦す場面や、十字架上のキリストが頭を垂れる場面が描かれています。

イギリスの画家エドワード・バーン=ジョーンズによる『慈悲深い騎士』も、この伝承を題材にした作品として知られています。

まとめ|今日の聖人から学べること

聖ヨハネ・グアルベルトは、兄を殺した相手への復讐を決意しながら、実際に相手と向き合ったとき、赦すことを選んだ聖人です。

その後、サン・ミニアートのベネディクト会修道院に入り、より簡素な生活を求めてヴァンブローサへ向かいました。

1038年ごろには、聖ベネディクトの会則を土台とする修道院を創立し、祈りと清貧、貧しい人や病人への奉仕を大切にしました。

聖ヨハネ・グアルベルトは、赦しとは相手だけでなく、自分自身の未来をも変える力だと教えてくれます。