2月14日は、カトリック教会で「聖チリロと聖メトディオ」を記念する日です。
二人は「スラブ族の使徒」と呼ばれています。
それは単に宣教師だったからではありません。
言葉と文字によって、民族の心に福音を届けたからです。
信仰と文化を結びつけた兄弟の物語をたどりましょう。
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兄弟は東ローマ帝国の官吏の家に生まれました。テサロニケは国際的な港町でした。
そこには多くのスラブ人が住んでいました。二人は幼いころからスラブ語と文化に親しみます。
チリロは哲学と神学に秀で、宮廷付司祭となりました。メトディオは官職を経て、修道生活へ入ります。
862年、皇帝ミカエル3世はモラヴィア王の要請を受けました。兄弟は宣教師として派遣されます。
彼らは流ちょうなスラブ語で説教しました。人々は初めて母語で福音を聞いたのです。
さらに決定的な働きをします。スラブ語を書き表すための文字を新たに創り出しました。
これが後にキリル文字へ発展します。聖書と典礼書はスラブ語に翻訳されました。
人々は自分の言葉で祈ることができるようになりました。教会は民族の心に根を下ろします。
二人はローマに招かれ、教皇から祝福を受けました。その働きは正式に認められます。
しかしチリロは大病に倒れました。42歳でその生涯を閉じます。
メトディオは宣教地へ戻りました。それでも試練は続きます。
東フランクの聖職者の反発を受け、彼は投獄されました。教皇の尽力により873年に釈放されます。
釈放後も彼は翻訳と聖職者養成に力を注ぎました。迫害の中でも使命を手放しませんでした。
二人の功績は、母語による福音宣教です。信仰は文化を否定するのではありません。
むしろ文化を浄め、高めます。これが教会の宣教理解の核心です。
また彼らは東西教会を結ぶ存在でもあります。後にヨーロッパの守護聖人とされました。
聖チリロと聖メトディオは、言葉の力で福音を伝えました。文字を創り、聖書を訳しました。
迫害に耐えながらも使命を貫きました。だからこそ「スラブ族の使徒」と呼ばれます。