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今日の聖人は聖ヨハネ(ダマスコ)|『知識の泉』を著した偉大な神学者[12月4日]

12月4日は、カトリック教会で「聖ヨハネ(ダマスコ)」を記念する日です。

ヨハネは、8世紀の東方教会を代表する神学者であり、後の時代まで大きな影響を与える著作を残した人物です。特に、聖画像(イコン)の迫害が行われた時代に、命をかけてイコンの意義を説いたことで知られています。

哲学・神学・聖歌を愛し、「東方教会のトマス・アクィナス」と呼ばれるほどの知性と信仰を生きた聖人です。

聖ヨハネ(ダマスコ)|プロフィール

  • 名前
    ヨハネ(ダマスコ)/John of Damascus
  • 生没年
    657?〜749年
  • 出身地・時代背景
    シリア・ダマスコ。イスラム帝国が勢力を広げ、キリスト者が少数派となっていた時代。
  • 肩書き・役職
    司祭、修道士、神学者、教会博士

聖ヨハネ(ダマスコ)の生涯

青年期からの転機|イスラム支配下で才能を伸ばす

ヨハネは、イスラム支配下のダマスコにある裕福なキリスト教家庭に生まれました。父親はイスラム教徒支配者から信頼され、市の行政を任される総督として働いていました。

当時のダマスコは文化が交わる大都市で、ヨハネはシチリア出身の修道士から古典文学や哲学、科学、神学を学び、若いころから優れた知性を示しました。

やがて父の職務を継ぎ、市政に携わるようになります。しかし、政治の世界に身を置きつつも、彼の心には「もっと深く神に仕えたい」という思いが強くなっていきました。

数年後、ヨハネは公職を辞し、祈りと学びの生活へ進む決心をします。

信仰と活動の展開|イコン破壊に立ち向かう

716年、ヨハネはエルサレム近郊のサバス修道院に入り、静かな祈りと学問の生活を始めました。

しかし、その頃東方教会では激しい論争が起きていました。「イコン(聖画像)は偶像である」として破壊を推し進めたのが、ビザンツ帝国のレオ3世でした。

この政策は多くの信者を不安にし、教会は深く揺れました。ヨハネは修道院にありながら、「イコンは神の恵みを伝えるための窓である」 と力強く擁護し、皇帝の方針に正面から反対しました。

彼の書いたイコン擁護文は大きな影響を与え、後の第二ニケア公会議(787年)で聖画像が正式に認められる基礎となりました。

晩年の活動と評価|『知識の泉』と教会博士

晩年のヨハネは、多くの神学書や説教を執筆しました。その中でも最も有名なのが『知識の泉』という三部構成の大著です。

  • 哲学の基礎
  • 異端についてのまとめ
  • 東方教会の信仰の体系

これらを分かりやすく整理し、後世の教会神学に多大な影響を与えました。

また、彼は聖歌の作曲も行い、特に復活祭の聖歌は東方教会で今も歌い継がれています。聖母マリアへの深い信心でも知られ、マリアの祝日に多くの説教を残しました。

その功績が認められ、1890年、教皇レオ13世は彼を教会博士に列しました。

聖ヨハネ(ダマスコ)の名言・エピソードから学ぶ

「聖画像は、見えない神の働きを映し出す窓である。」
(イコン擁護三論より)

この言葉は、神の恵みを可視化するイコンの意味を、ヨハネがどれほど大切にしていたかを表しています。

人は目に見えるものを通して、心の奥で神に近づいていく。ヨハネはそのプロセスを尊重し、主張し続けました。

カトリック的ポイント解説

ヨハネが特に重視したテーマは「受肉の尊さ」「神の働きは人間の世界に現れる」という教えでした。

神がイエスとしてこの世界に来られたという受肉の信仰を土台に、イコンの価値を語ったのです。

現代の信者にとっても、「目に見えるものを通して神を思い起こす」という習慣は、祈りの助けとなります。

聖ヨハネ(ダマスコ)|ゆかりの地・書籍・芸術

  • エルサレム近郊サバス修道院
    ヨハネが晩年を過ごした場所。現在も巡礼者が訪れる。
  • 著作『知識の泉』
    東方教会の神学を体系化した名著。
  • イコン擁護三論
    聖画像を守るための最も重要な文献。
  • 東方教会の聖歌
    復活祭のカノン(聖歌)は今も歌われている。

まとめ|今日の聖人から学べること

聖ヨハネ(ダマスコ)は、政治の世界から離れ、祈りと学びの生活に身を置きながら、教会を揺るがす問題に勇気を持って向き合いました。

イコン迫害の時代に、その価値を丁寧に説明し、後世まで続く信仰の理解を形づくった人物です。

私たちも、自分の得意なことや学んだことを、誰かの支えになる形で差し出すことができます。ヨハネの生き方は、知識と信仰が出会う時に生まれる力を今も教えてくれます。

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