12月11日は、カトリック教会で「聖ダマソ1世」を記念する日です。
4世紀後半、教会が異端や対立で揺れていた時代に、強い指導力で秩序を取り戻した教皇として知られています。さらに、後に世界中で読まれるようになる聖書ラテン語訳「ヴルガタ」を進めた人物でもあります。
混乱のただ中で、ダマソ1世はどのように教会を導いたのでしょうか。
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ダマソ1世が若い頃の詳細は多く残っていませんが、ローマのキリスト教共同体の中で奉仕しながら育ったと考えられています。当時の教会は、異端であるアリウス派の広がりや、司教選挙の混乱が続き、強い指導者が求められていました。
366年、ダマソはローマ教皇に選ばれます。しかし選出をめぐって対立派も現れ、ローマ市内では衝突が起きるほど混乱したと記録されています。それでもダマソは退かず、ローマ司教の地位と教会の一致を守るため、改革に取り組みました。
まずダマソ1世は、司教選挙が国家の権力に左右されないよう、選挙の自由を法律として皇帝に承認させました。これは、のちに教会が独自の判断で指導者を選ぶための大きな基盤となります。
さらに382年のローマ教会会議では、ローマ司教を「使徒座」として明確に位置づけました。これは、ペトロの後継者としてのローマ教皇の権威をはっきりさせる重要な決定でした。
また、ダマソ1世が特に力を入れたのが 異端との戦い です。三位一体を否定するアリウス派に対して、聖アンブロジオと協力しながら正統信仰を守り抜きました。「父と子と聖霊は、唯一の神である」という三位一体の教えをローマで確立した大きな貢献者といえます。
そしてもう一つ、世界的に大きな影響を与えたのが 聖書翻訳事業の推進 です。ダマソの秘書であった聖ヒエロニモにラテン語の標準訳聖書を作らせ、これが後に「ヴルガタ」と呼ばれるようになります。ヴルガタは中世から近代にかけて、カトリック教会で最も広く使われた聖書となりました。
さらに、ダマソ1世は殉教者への崇敬を広め、カタコンベ(地下墓所)に残る多くの碑文を詩的にまとめています。彼が書いた碑文は、当時のキリスト教共同体の信仰のあり方を知る貴重な資料ともなっています。
晩年のダマソ1世は、都市の政治的争いの中で批判を受けることもありましたが、教会を強く整えたリーダーとしてその功績は大きく評価されています。
384年に亡くなり、現在はローマのサン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂付近に埋葬されています。
信頼できる史料の中で特に有名なのは、殉教者への深い敬意を示した碑文です。
「殉教者たちは、キリストの勝利をこの地に刻んだ証人である。」
この言葉は、ダマソが残した碑文の精神をよく表しています。迫害の中で信仰を守った人々を敬い、彼らの信仰が後の教会を支えると語っています。殉教者への強い敬意は、彼の教会観そのものともいえます。
ダマソ1世の信仰の中心となるテーマは 正統信仰の保護 と 教会の一致 です。
三位一体の教えをゆがめる動きがあった時代、ダマソ1世は強い姿勢でこれに対抗し、教会の教えを守りました。現代でも、教会が一つの信仰の上に立つためには、正しい教えを分かち合う姿勢が欠かせません。
また、ヴルガタの出版を導いたことは、聖書に親しむ文化を広げる大切な一歩でした。今日、わたしたちが多くの言語で聖書を読めるのも、彼の働きによる恩恵の一つです。
聖ダマソ1世は、混乱した時代に教会を立て直し、正統信仰を守った教皇です。
三位一体の教えを確立し、ローマ司教の権威を明確にし、聖書翻訳を推進したことで、後の教会の発展に大きく貢献しました。
わたしたちが今日、安心して聖書を読み、信仰を学べるのは、ダマソ1世の努力と勇気によるところが大きいと言えるでしょう。