8月7日は、カトリック教会で「聖シスト2世」を記念する日です。
「命をかけて、教会の一致と平和を守った教皇」——それが、今日ご紹介する聖シスト2世の姿です。
彼は3世紀という、キリスト教がローマ帝国の中で迫害されていた時代に教皇として選ばれました。分裂しかけた教会をつなぎとめ、神への信頼をもって歩んだその生涯は、まさに“信仰のリーダー”と呼ぶにふさわしいものでした。
殉教によってその生涯を終えることとなったシスト2世ですが、彼の静かで揺るがぬ信仰、そして「平和をつなぐ橋」となった働きは、今も多くのキリスト者に力を与えています。
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聖シスト2世が教皇に選ばれたのは、257年。当時のローマではバレリアヌス皇帝によるキリスト教への迫害が始まり、教会内も緊張と混乱の渦の中にありました。
加えて、彼の前任であるステファヌス1世の時代には、「異なる教派で洗礼を受けた人をどう扱うか」という神学的な議論をめぐって、ローマと北アフリカの教会の間に意見の違いが生じていました。
聖シスト2世は、この対立に冷静かつ柔軟に向き合い、特にカルタゴの司教である聖チプリアノとの関係回復に尽力しました。彼は、厳しい状況の中でも「教会は一つであるべきだ」という思いを大切にし、争いではなく対話と一致を選びました。
しかし、その信仰と働きのゆえに、彼の生涯はまもなく過酷な結末を迎えます。
258年8月6日、ローマ郊外のカリストのカタコンベ(地下墓地)で、聖シスト2世はミサの説教中に捕らえられ、助祭たちとともに処刑されました。彼のそばにいたのは、ヤヌアリオ、マニュス、ビンセンシオ、ステファノといった忠実な助祭たち。彼らもまた、殉教者としてその場で命を捧げました。
また、同じく助祭であったラウレンシオはすぐには殺されず、4日間にわたって拷問を受けたのち、8月10日に殉教しています。
そのすぐ後、アフリカの司教チプリアノもまた、彼らの死に励まされるようにして9月14日に殉教を遂げています。まるで、信仰のバトンが静かに、でも確かに受け渡されたような出来事です。
聖シスト2世自身の言葉として記録されたものは多く残っていませんが、彼の生き方そのものが「信仰の言葉」でした。
特に印象的なのは、教会内の意見の違いに対して「怒り」ではなく「橋をかける」姿勢をとったこと。対話を通じてつながりを守るその態度は、今の時代においても大きなヒントを与えてくれます。
また、地下で礼拝を守り続け、信徒たちの前で説教していたその姿には、恐れよりも「神の愛に身をゆだねる喜び」があったのでしょう。
聖チプリアノは、シスト2世たちの殉教についてこう語りました。
「死よりも不滅の生命のことを考えよう。信仰と勇気をもって神に身を捧げたのだから。証しをたてるときは、恐れるよりも喜ぶように。
わたしたちは殺されるのではなく、栄光の冠を受けると知っているのだから」
命を失うことさえ「神の栄光」として受けとめる信仰。それは、まさに初代教会の力強さを象徴するものです。
聖シスト2世の働きは、「教会の一致」と「信仰の勇気」という2つの大きなテーマに貫かれています。
まず、教義の違いに直面したとき、彼はすぐに裁いたり排除したりせず、対話を選びました。これは、今日のカトリック教会が大切にする「エキュメニズム(キリスト教諸派の一致を求める対話)」にも通じる態度です。
また、殉教という形で信仰を証しした彼の姿は、「神の愛の恵み(=恩寵)」にすべてをゆだねた信仰の表れです。
信仰とは、知識や理屈だけではなく、「どこまで神様を信じぬけるか」にも関わること——シスト2世はそれを命がけで教えてくれました。
「考えの違いを超えて、つながる勇気を持とう」
聖シスト2世は、分裂しそうになった教会を静かに結びつけ、困難の中でも神への信頼を選びました。そして、殉教という苦しみの中でさえ、神の平和を信じぬいたのです。
私たちも、意見の違いや不安を感じることの多い現代社会に生きています。でも、そんな時こそ、対話を大切にし、信じるものに希望を見いだす姿勢が求められているのかもしれません。
明日もまた、ひとりの聖人を通して、「信仰と日々をつなぐヒント」をご紹介できればと思います。どうぞ、お楽しみに。