8月30日は、カトリック教会で「聖フェリクス司祭と聖アダウクト殉教者」を記念する日です。
彼らは4世紀の厳しい迫害の中で、最後まで信仰を守り抜いた人物でした。とくに、名もなき一人の信徒が、フェリクスの姿に心を打たれて命をささげたというエピソードは、時代を超えて多くの人の胸を熱くします。
名も知られぬ信仰者が「追加された者」として歴史に刻まれた出来事は、私たちにも大切なメッセージを伝えているのです。
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フェリクスの詳しい幼少期や青年時代については記録が残っていません。しかし、彼が司祭として任命されていたことから、信仰心に厚く、教会共同体の中で尊敬される人物だったと考えられます。
紀元4世紀初頭は、キリスト教徒が命の危険にさらされる時代でした。皇帝ディオクレチアヌスによる迫害は激しく、聖職者や信徒が投獄され、拷問や死刑を受けることが日常茶飯事となっていたのです。
フェリクスは司祭として、人々に福音を伝え、迫害の中でも信仰を守り続けました。その姿は信徒たちにとって希望のしるしでした。
しかし、彼自身もついに捕えられ、死刑を宣告されます。死刑場へと引き立てられるとき、フェリクスは恐れることなく、静かに神を信頼して歩みを進めたと伝えられています。
その時の彼の落ち着いた態度は、見物していた一人の男性の心を大きく揺さぶりました。彼は群衆の前で突然こう叫びます。「わたしもこの人が信じる神に従う者です。信仰のためなら命をささげます!」。
この大胆な告白によって、その男性も即座に捕らえられ、殉教者の列に加えられることになりました。
この男性の本当の名前は誰も知りませんでした。そのため人々は彼を「アダウクト」と呼びました。これはラテン語で「追加された者」という意味です。
つまり、「信仰の証人として、殉教の列に加えられた人」という意味を込めて呼ばれるようになったのです。名前さえ記録に残らなかった人物が、勇気ある行動によって永遠に教会の歴史に刻まれたという事実は、非常に感動的です。
二人はともに処刑され、その遺体はオスチア街道沿いのコモディラ墓地に埋葬されました。
354年に作成された「殉教者の記録」には、ただ簡潔に「フェリクスとアダウクト」と書かれていたと伝えられています。後に墓は改修され、多くの巡礼者が訪れる場所となりました。
残念ながら、フェリクスやアダウクトの名言は記録に残っていません。しかし、アダウクトの行動そのものが力強い「言葉」として響いています。
「わたしも、この人が信じている神に従っている者です」――これは信仰の告白であり、命をかけた証でした。
現代の私たちにとって、信仰や信念を守ることは、必ずしも命をかけることではありません。しかし、このエピソードは「勇気をもって自分の信じる価値を表すこと」の大切さを教えてくれます。学校や職場、家庭で、誠実さや正直さを選ぶことは、小さな「殉教」のようなものかもしれません。
聖フェリクスとアダウクトから学べる神学的テーマは「証し(あかし)」です。難しい言葉ですが、これは「自分の生き方や言葉を通して神を示すこと」を意味します。
フェリクスは迫害の中で信仰を守り、アダウクトは人前で自らの信仰を告白しました。二人の姿は「神の愛に誠実であること」を体現しています。
私たちの日常では、友人を大切にする、困っている人を助ける、正直に生きるといった選択が「信仰の証し」になります。つまり、神を信じることは、特別な行為よりも日々の小さな誠実さの積み重ねなのです。
二人の殉教者が眠るとされる場所は、ローマ郊外のオスチア街道のコモディラ墓地です。初期の殉教者たちと同じく、彼らの墓は巡礼者たちにとって信仰を強める拠点となりました。
また、西洋美術の中では「名もなき殉教者」というテーマで描かれる場合、アダウクトの物語が下地になっているとも言われています。特に、二人が並んで処刑へと向かう場面は、絵画や装飾に象徴的に表されてきました。
聖フェリクスと聖アダウクトは、「信仰を最後まで貫いた勇気」を示しました。名の知れた司祭と、名もなき一信徒が共に殉教したという事実は、信仰の力が誰にでも開かれていることを思い出させてくれます。
私たちもまた、日常生活の中で誠実に行動することを通して、小さな勇気を示すことができるのではないでしょうか。
次回の記事では、また新しい聖人の物語をご紹介します。どうぞお楽しみにしてください。