8月20日は、カトリック教会で「聖ベルナルド」を記念する日です。
ベルナルドは、フランス・ブルゴーニュ地方の貴族に生まれましたが、若い頃に世俗的な成功を手放し、修道生活を選びました。やがて彼はクレルヴォー修道院を築き、その名はヨーロッパ中に広まりました。
厳しい禁欲と深い祈りを通じて、彼は「神の愛とは何か」を人々に伝え続けたのです。
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ベルナルドは1091年、ブルゴーニュ地方の貴族の家に生まれました。将来は学者や政治家として活躍する道が期待されていましたが、彼の心は違っていました。若くして信仰に強く惹かれ、「神のために生きたい」という願いを抱くようになったのです。
1112年、彼は思い切った行動に出ます。なんと4人の兄弟と27人もの友人を誘って、シトー修道会に入会したのです。これは当時としても非常に珍しい大規模な入会でした。この出来事は、修道会を大きく活性化させるきっかけとなりました。
ベルナルドは入会からわずか2年後、新しい修道院を築く使命を受けました。場所はフランス北東部のクレルヴォー。
1115年に設立されたその修道院は、彼が亡くなるまでの生涯を過ごす舞台となりました。修道院の生活は「祈りと労働」「禁欲と共同生活」を厳格に守るもので、華やかさは一切ありません。しかしその質素さこそが人々を惹きつけたのです。
ベルナルドの強い信仰と魅力的な人柄により、多くの弟子が集まりました。彼らはやがてヨーロッパ各地に修道院を設立し、その数は実に68にものぼります。こうしてクレルヴォーの名声は広まり、ベルナルドは修道生活の理想像として称えられるようになりました。
ベルナルドは修道院にとどまらず、教会や社会の問題にも積極的に関わりました。時には教皇から意見を求められ、また国王からの相談にも応じました。彼の助言は争いを和解へと導き、信仰を取り戻す助けとなったのです。
特に有名なのは、第2回十字軍の際に、ベルナルドが人々に説教を行い、信者を励ましたことです。当時、混乱や絶望に覆われた状況の中で、彼の力強い言葉は多くの人々に希望を与えました。
ベルナルドは数多くの著作や説教を残しました。中でも有名なのが「神の愛について」という言葉です。彼はこう語ります。
Amor Dei est ipse Deus.(神を愛する理由は、神ご自身である)
この言葉には、損得勘定を超えた純粋な愛の精神が込められています。
現代の私たちにとっても、「誰かを心から愛することの大切さ」を思い出させてくれるメッセージです。仕事や人間関係で迷うとき、この言葉を胸に刻めば、自分の原点を見つめ直すことができるでしょう。
ベルナルドは単なる厳格な修道者ではなく、人々に「神の愛の恵み」をやさしく伝える教師でもありました。
彼が特に重視したのは「良心」と「神のあわれみ」です。人は弱く、失敗もしますが、それでも神は見捨てず、あわれみを注いでくださる。この考えは、当時の教会に大きな影響を与え、後世の神学や祈りの形を形づくりました。
現代カトリックでも、ベルナルドの教えは生きています。祈りや黙想の場で、彼の著作は今も多く読まれ、信仰生活の助けとなっています。
ベルナルドの生涯の舞台となったクレルヴォー修道院は、今でも巡礼者が訪れる地です。彼の霊性に触れようと、多くの人々が足を運びます。また彼の著作は書籍として広く残され、「神の愛について」「マリア賛歌」などは祈りの中で親しまれています。
芸術の分野でも、聖ベルナルドはさまざまに描かれてきました。ルネサンスのペルジーノは「聖ベルナルドの幻視」を描き、バロック期のムリーリョは「聖母の出現」をテーマにしました。さらに18世紀のゴヤも、病人を癒すベルナルドの姿を描いています。
また、中世から広まった有名な伝承に、「Salve Bernarde(ベルナルドよ、歓迎します)」 があります。
1146年、ベルギーのアッフリヘム修道院を訪れた際、ベルナルドが聖母像に向かって「アヴェ・マリア」と祈ったところ、その像が「Salve Bernarde」と応えたというものです。これは歴史的な事実ではなく、聖母への深い信心を象徴的に伝える霊的物語として後世に愛されました。18世紀にはこの場面を描いた絵画も制作され、ベルナルドと聖母の親密な関わりを芸術の形で表現しています。
聖ベルナルドは、世俗の成功を捨てて神の愛に生きた人物でした。彼の残した「神を愛する理由は、神ご自身です」という言葉は、今も心に響きます。
私たちもまた、日々の中で「損得ではなく心からの愛」を選ぶことができます。小さな決断や人との関わりの中に、その愛を実践できるのです。聖ベルナルドの生涯を思い起こすとき、私たちも「愛に生きる勇気」をもらえるのではないでしょうか。