8月2日は、カトリック教会で「聖エウセビオ」を記念する日です。「信じることを、貫き通す勇気」——今日ご紹介する聖人は、まさにこの言葉を体現した方です。
彼は4世紀のイタリアで司教を務め、当時の教会を揺るがせていた「アリウス派」の教えに毅然と立ち向かいました。
政治的にも宗教的にも緊張が高まるなかで、真理を守るために孤独な道を歩んだ聖人です。
エウセビオの人生は、信仰を持つすべての人にとって、大切な問いを投げかけてくれます。
「あなたは、本当に信じるもののために立ち上がれますか?」
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聖エウセビオは、若いころから信仰の深い青年だったと伝えられています。
司祭となった後、紀元340年頃にイタリア北部の町ヴェルチェッリの初代司教に任命されました。
当時、教会内では「アリウス派」と呼ばれる異端的な考えが勢力を増していました。
これは「イエスは神ではなく、神に作られた存在である」というもので、キリスト教の核心を揺るがす教えでした。
エウセビオは、アリウス派の誤りを正すために力を尽くしました。
特に紀元355年、ミラノで開かれた宗教会議では、多くの司教たちが政治的な圧力に屈してアリウス派を支持するなか、エウセビオは一人毅然と反対の立場を取りました。
その結果、彼は司教の職から追放され、遠くシリアの砂漠地帯に流されてしまいます。
それでも彼は信仰を捨てず、書簡や祈りによって教会とのつながりを保ち続けました。
10年以上の流刑生活の後、ようやく帰還を許されたエウセビオは、ヴェルチェッリに戻り、教会の立て直しに尽力しました。
異端に傷ついた信徒たちを慰め、真の教えを根づかせようとしたその姿は、まさに「牧者」のあり方そのものでした。
彼は紀元371年頃、静かにその生涯を閉じました。
信仰と勇気の人として、彼は今もカトリック教会で「聖人」として記憶されています。
「真理のために苦しむことは、勝利を意味する」——これは、彼の姿勢そのものでした。
エウセビオの特筆すべき点は、何より「孤独を恐れなかった」ことです。周囲が異端に傾いても、彼は自分の信じるものを貫きました。
流刑地での寂しさや不安は、計り知れないものだったでしょう。しかし、彼は心の中に神の存在を感じ、どんな困難の中でも祈り続けました。
私たちも、世の中の流れや声に流されそうになる時、エウセビオのように「静かに信じること」を選ぶ勇気を持ちたいですね。
聖エウセビオが立ち向かった「アリウス派」は、イエス・キリストを「神の子」としてではなく、「神に創られた存在」と捉えていました。
この教えは、神の愛の本質を大きく歪めてしまうものです。
エウセビオはこの誤りを、祈りと誠実な証しによって正そうとしました。
彼はただ反論するのではなく、「神の愛がどういうものか」を人々に体験してもらうことを大切にしたのです。
また、彼は聖職者たちの共同生活の必要性も訴え、霊的な絆の中で教会を支え合うモデルを示しました。
現代のカトリックにおいても、彼の生き方は「一人ひとりの信仰の責任」と「共同体としての信仰の支え合い」の両方を思い出させてくれます。
エウセビオが司教として仕えた町「ヴェルチェッリ」には、今も彼の名を冠した大聖堂(ヴェルチェッリ大聖堂)があり、巡礼地として多くの信者が訪れています。
エウセビオ自身の書簡のいくつかは今も残っており、教会の初期の信仰のあり方を知る貴重な資料となっています。
絵画や彫像では、司教の衣を着て書物を持つ姿で描かれることが多く、「真理を守る者」としての象徴となっています。
聖エウセビオの生涯は、「何を信じ、どう生きるか」という問いに、静かに力強く答えています。
流されず、信じることを貫く勇気。
これは現代の私たちにも通じる、深いメッセージです。
明日も、また一人の聖人と出会いましょう。
きっと、あなたの心に届く言葉がそこにあります。