8月18日は、カトリック教会で「聖ヘレナ」を記念する日です。
聖ヘレナは、ローマ皇帝コンスタンティヌス大帝の母として知られる女性です。しかし、ただ「皇帝の母」というだけではなく、信仰の道を歩み、晩年には巡礼を重ね、キリストの「真の十字架」を見つけたと伝えられる人物でもあります。
彼女の人生は、試練と栄誉、そして深い信仰に満ちた物語でした。今日はその生涯をたどりながら、私たちが学べるメッセージを分かち合いたいと思います。
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聖ヘレナは、小アジアのビチニア州という地方の貧しい家に生まれました。やがて、ローマの将軍クロルスと結婚し、息子コンスタンティヌスを授かります。しかしクロルスは政治的な理由で彼女を離縁し、別の女性と再婚してしまいます。
愛する夫に去られたヘレナは深い悲しみを抱きましたが、その後、息子が皇帝としてローマ全土を治めることになったことで、人生は大きく転換していきます。
息子コンスタンティヌスが西ローマを支配した後、母であるヘレナは「アウグスタ」という尊称を受け、皇太后の地位に就きました。
貨幣には彼女の姿が刻まれ、名誉を受けながらも、彼女は派手な暮らしを望まず、むしろ質素な生活を選び取っていきます。
ヘレナは63歳の時にキリスト教の洗礼を受けました。これは人生の大きな転機でした。それ以降、彼女は皇太后としての権力を誇示することなく、むしろ神への奉仕と人々への愛に生きるようになります。
彼女は数多くの教会を建て、困窮する人々を助け、皇帝の母としての立場を用いて、信仰を広げる働きに力を注ぎました。その生き方は「皇帝の母でありながら、一人の信仰者」として、当時の人々に強い印象を与えたと伝えられています。
聖ヘレナの名を最も有名にしているのが、エルサレムへの巡礼です。324年、彼女は高齢でありながら聖地を訪れ、カルワリオの丘に壮大な教会を建てました。そしてその地で、キリストが実際に架けられたとされる「真の十字架」を発見したと伝えられています。
さらに、磔刑の際に使われた「聖釘」や、聖書に登場する博士たちの遺骸までもが彼女の手によって見つけられたとされます。これらの遺物は各地の教会に分けられ、今なお信仰の対象となっています。伝説の色合いも濃いですが、「十字架を見つけた皇太后」というイメージは、ヘレナの名を永遠に歴史へ刻むことになりました。
聖ヘレナの人生は、ただ権力の陰に隠れるものではありませんでした。夫に去られるという深い悲しみを経験しながらも、母として息子を支え、晩年には一人の巡礼者として信仰の道を歩んだのです。
「高い地位にあっても、質素に生き、神を第一とする」――この姿勢こそ、私たちが彼女から学べる最も大きな教訓です。
聖ヘレナの名は、今もヨーロッパ各地に残されています。特にドイツのトリーアやスイスのバーゼルでは守護聖人として敬われています。また、バチカン美術館には彼女の石棺が展示され、訪れる人々に歴史の重みを伝えています。
多くの絵画や彫刻も彼女を題材にしており、聖なる十字架を手にした姿がよく描かれます。それは、彼女が信仰をもって「探し求めた人」であることを象徴しているのです。
聖ヘレナの人生は、波乱に満ちつつも、最後には信仰の光に導かれた歩みでした。皇帝の母として栄誉を受けながらも、彼女は常に質素で、神と人々のために生きました。そして「真の十字架」を発見した伝説は、彼女の信仰の象徴として今も語り継がれています。
私たちもまた、聖ヘレナのように「神を第一にし、人に仕える心」を忘れずに歩んでいきたいものです。