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シラクサの聖ルチア〈聖ルチア〉

「ルチア」という名前は、ラテン語で「光」を意味する「Lux」または「Lucid」に由来します。

彼女は304年にディオクレティアヌス帝の支配下でシラクサで殉教し、その犠牲はローマ中に知れ渡り、教会で信仰の守護者として称賛されました。

しかし、彼女の生涯については多くが不明です。

「ルチア」という名前

「ルチア」という名前は、ラテン語で「光」を意味する「Lux」または「Lucid」に由来します。中世になると、ルチアの伝説が広まりましたが、彼女の生涯については多くが不明です。

確かなことは、ディオクレティアヌス帝の支配下で304年にシラクサで殉教したことです。彼女の犠牲はローマ中に知れ渡り、6世紀には教会全体で信仰の守護者として称賛されました。

聖ルチアと母エウティシアの苦しみ

ルチアの父が亡くなり、彼女と母エウティシアは何の援助も受けられませんでした。母は4年以上にわたり下痢に苦しみましたが、ルチアはシチリアの「聖アガタ」の奇跡を聞きつけ、ミサに参加しました。すると、母の病気が癒され、2人は聖アガタの墓前で一晩中祈り続けました。

ある夜、ルチアと母エウティシアは眠りにつくと、ルチアの枕元に聖アガタが現れ、「私がそうしたように、あなたはすぐにシラクサの栄光となるでしょう」と語りました。母はたちまち全快しました。

聖ルチアは異教徒との政略結婚を拒否した理由

母エウティシアはルチアを異教徒との政略結婚させようとしましたが、ルチアは自らの処女を守るために拒みました。

また、持参金を貧者に分け与えようとしました。エウティシアは持参金が遺産になることを示唆しましたが、ルチアは母を説き伏せ、より高貴な婚約者であるキリストがいると語りました。

政略結婚の異教徒は怒り、ルチアを密告しました。「彼女は実はキリスト教徒であり、神への犠牲として火あぶりにされるべきだ」と。

聖ルチア、両目をえぐり出される!

ルチアを逮捕に来た兵士たちは彼女を動かすことができませんでした。ルチアは聖霊に満たされ、山のように強固な存在となっていました。

さらに、牛の一群でも彼女を引き摺っても動きませんでした。最後の拷問として、ルチアは両目をえぐり出されましたが、奇跡が起こりました。彼女は目を失っても見ることができたのです。

絵画では、聖ルチアは黄金の皿に自分の眼球を載せた姿で描かれ、目および視覚障害者、そしてシラクサの守護聖人として崇敬されるようになりました。

まとめ

聖ルチアは異教徒の政略結婚を拒み、貧者に持参金を分け与え、処女潔白を守り抜きました。

逮捕された彼女は最後に両目をえぐり出されましたが、奇跡的に視覚を保ち、黄金の皿に眼球を載せた姿は絵画で崇敬されています。

彼女はシラクサの守護聖人として、信仰と奇跡の象徴となりました。

【サンタ・ルチア】
聖ルチアとは関係なく、ナポリ湾に面した絵のように美しい波止場地区、ボルゴ・サンタ・ルチアを讃え、船頭が自分の船に乗って夕涼みするよう誘いかけているナポリ民謡です。

シラクサの聖ルチア〈聖ルチア 彼女の人生の話〉