絵画で分かる旧約聖書・新約聖書

旧約聖書・新約聖書はとても読みづらいです。
この絵画で分かりやすい聖書は、
ギリシャ神話〉と同じく映画・美術鑑賞に
とても役に立つアートバイブルです。
天使聖人

聖アントニウスの誘惑 その2

聖アントワーヌの誘惑(ダリ)
ダリ〈聖アントワーヌの誘惑〉

第二の苦行(つづき)

アントニウスが天井をみあげると、明るい一条の光が射し混み、光は悪魔たちを残らず追い散らしました。この光は主の救いの手だったのです。アントニウスは、安らぎを取り戻しました。

「主よ、どこにおられたのですか?
なぜ、最初のときはここに来てくださらなかったのでしょうか?
それになぜ、わたしの傷も治してくだされなかったのでしょうか?」
アントニウスが主に向かって言うと、

どこからともなく
「アントニウスよ、私はあなたのそばにいた。
しかし、あなたの戦いぶりをみたかったから、そのままにしていたのだ。
あなたはじつに勇敢に戦った。
これからは、いつでもあなたに救いの手をのべよう。
そしてあなたの名声を広く伝えよう」

この言葉を聞くと、彼は立ち上がり熱心に祈りました。

第三の苦行

アントニウスが、地下墓地で35歳まで過ごしていたある日のことです。彼は神にたいする奉仕をもっと強烈なものにしたい、という思いが生まれてきました。彼は、地下墓地を出る決心をしました。彼はピスピルの山に向かい、無人の荒れた砦を発見して、そこを第三の苦行の地にしたのです。その後、砦の扉を閉めきったまま、およそ20年間厳しい修行を続けます。

20年間、アントニウスは一度もそこから外にでず、また誰ともいっさい会いません。そのことはやがて人々の間で話題になり、ピスピルの砦の近くには、彼に会いたいと各地から人々がいっせいに押しかけてきたのです。彼はそうした人々を前にして説教をしました。

やがて、ピスピルの山には修道院が建ち並び、砂漠は修道僧でいっぱいになりました。彼は、修道士たちに自分の体験を語って聞かせたのです。アントニウスはこうして文字通り「修道院の創設者」あるいは「修道士の父」となったのです。

聖アントニウスの誘惑(ブリューゲルの版画)
ブリューゲルの版画〈聖アントニウスの誘惑〉

第四の苦行

アントニウスは砦から出たあとの数年間、彼を慕って集まった修道僧たちとともに生活していました。これは修道僧たちの強引な押しかけにしぶしぶ応じていたものです。彼としては、不本意な生活です。そして、60を越えたアントニウスは、第四の苦行の地としてコルズム山に向かいます。

コルズム山のアントニウスは、頻繁に奇跡を起こしました。後になって、彼が病気(丹毒やペスト)を治す聖者として崇めらるようになったのは、奇跡の大半が病気の治療だったからです。それから約40年間、死去する356年(105歳)まで、彼は修道士の教育、奇跡(病気の治療)の日々でありました。

そして、ある日、アントニウスは神から自分の死が近いことを知らされます。彼には、世話をしていた二人の弟子がいました。アントニウスは彼らを呼び、自分はもうすぐ死ぬということ、埋葬のことなどについて話すと、二人の弟子はアントニウスを抱きしめました。

アントニウスが死ぬと、弟子の二人は言いつけに従って、彼の死体を誰にもわからないところに埋葬しました。

死後およそ200年たった西暦561年にその墓が発見されました。発見された聖骨は、まずアレキサンドリア、そしてコンスタンティノポリスへ。さらに、聖骨は1000年ころフランスのリヨンの近くのベネディクト会修道分院へ、1491年に同じくフランスのランス近郊のサン・ジュリアン教会へ運ばれました。

参照:聖アントニウスの生涯

聖アントニウスの誘惑(マックス・エルンスト)
マックス・エルンスト〈聖アントニウスの誘惑〉

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