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聖アガタの殉教ピオンボ〈聖アガタの殉教〉

シチリア島・カターニアに生まれ。

美しいアガタは当時シチリアを支配していたローマ人権力者から結婚を申し込まれました。が、彼女はそれを拒否。怒った権力者は、アガタがキリスト教徒であることを理由に弾劾しました。そして、アガタは両方の乳房を切り落とされるという、残酷な拷問を受けることになったのです。

両乳房に傷を負って衰弱したアガタは、それでも獄中で祈り続けました。すると、聖ペテロが現われ、励まし、傷が治ったといわれています。その後、アガタは火あぶりにされます。まさに刑が執行されようとした時、地震が起きたために処刑は免れました。が、250年頃アガタは、獄中で命を落とし殉教しました。

ペテロとアガタランフランコ〈聖ペテロとアガタ〉

絵画では、アガタは切り落とされた乳房を皿の上にのせて持つ姿で描かれることが多いです。乳房の形との関連から、アガタは鐘職人やパン屋の守護聖人とされてきました。が、近代にはいると、アガタは乳癌患者の守護聖人ともされました。

また、1551年にオスマン帝国がマルタ島に侵攻したとき、人々はアガタに祈り、結果的にマルタ島は守られたため、マルタの守護聖人ともなりました。

聖アガタスルバラン〈聖アガタ〉